副住職の法話推敲記録ノート

躾(しつけ)の目的と効果

2012.8.29
⇒前回からの続きです。

前回、躾の大切さについて書きましたが、

躾とはつまり、
私たちの主導権を握っている「 もうひとりの自分・無意識 」を教育することなのです。

ただ、
その「 もうひとりの自分・無意識 」を教育しようと思っても、

なかなか思い通りにはいきません

例えば、
いたずら大好きな子どもは、
「 いたずらはダメだよ! 」とソフトに言うだけでは、大抵の場合、余計に面白がってしまいます。

理屈でいくら
「 その いたずら をすると、他の人の迷惑になるからやめなきゃだめでしょう? 」
といっても、その理屈を理解できないのですから効果がありません

そんな時はみなさん、どうしますか?

強く叱ること大きな声で叱ること。
あるいは、叩いて言うことをきかせようとするかもしれません。

これらの行為とは、実は、
意識 」に働きかけるのをあきらめて
直接 もうひとりの自分・無意識 」に働きかけるということなのです。

もうひとりの自分・無意識 」にとって、
言葉や理屈はなかなか理解できなくても、

大きな音や、身体の痛みについては とても敏感 です。

なぜなら、
その危険信号を見逃してしまえば、一番大切な「 生命 」を脅かす重大な局面を迎えることになりかねません。

その危険を少しでも察知すれば
私たちは反射的に、本能的にその回避行動をとるものです。

それが
「 もうひとりの自分・無意識 」の大きな作用です。

そして一度その
重大な危険が「 もうひとりの自分・無意識 」に刻み込まれた場合、

次はその気配を感じるだけで
敏感にその回避行動をとるようになったりもするのです。

これが躾のしくみの一つです。

つまり、
言葉や理屈が通じにくい相手に対して、
危険信号を直接無意識に伝えることによって

その本能的な危機回避行動を利用し
それを 定着化させることによる教育 が躾の一つなのです。

そして、その効果については、

私たち自身の成長過程、子育てなどを通して、
経験的に私たちは、既に充分知っているはずなのです。

知っているはずなのですが、

私たち人間は、ペットや動物と違い、
言葉の通じる、理性を持った人間だから、

「 話せば必ず通じる
「 怖がらせてはダメ 」
「 分かるまで、理解するまで、言葉で繰り返し話すことのみが教育 」
真心は(いつか)通じる 」
「 体罰はありえない

などの、言葉のみによる理想的な教育論だけが正しいことのように頑なに思い込まされてしまっているのです。

これらは、
現実の正しい姿を「 正見 」(しょうけん)しているものだと思えません。

私たちの
~であったらいいな 」という願望や夢が込められた、イマジネーション上の姿です。

人は、
「 意識 」に言葉だけで働きかけて、簡単に思い通りになるようなものではありません。

本当の現実の私たちを正しく「 正見 」するのであれば、

『 人は、ペットとは違って
確かに言葉や理屈を理解し、時にその通り行動することができることがありますが、

実は、そのペットと同じように言葉や理屈を理解できない、
もうひとりの自分・無意識 」が主導権を握っていて、

なかなか思い通りにならないものです。 』

となると思うのです。
<続く>

※当然のことながら、このブログはあくまで私の個人的な解釈です。

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