副住職の法話推敲記録ノート

「 もうひとりの自分・無意識 」教育の位置づけ

2012.8.30
⇒前回からの続きです。

もうひとりの自分・無意識 」は、私たちの主導権を握っています。

がしかし、
私たちはそのことになかなか気づくことができません

教育でも、心の問題でも、

もちろん仏教でも、
その「 もうひとりの自分・無意識 」に気づくこと

そしてその「 もうひとりの自分・無意識 」と、
どのように接して、アプローチして、

どうやって教育し、良好な関係を保っていくのか

これが人間が現実を生きていく上で、本質的な命題だと思うのです。

ですから、
現在の教育を取り巻く環境で、

ともすれば、
その「 もうひとりの自分・無意識 」の教育が
軽視されてしまっている現状について、心配をしています。

人間とは、
「 この内緒話は誰にも話さないでね! 」と顕在意識に働きかけると

話したくてしょうがなくなる衝動にかられるという
逆効果になってしまうことがありますし、

勉強しなさい 」と言われれば言われるほど
勉強したくなくなるのが人間の一面でもあります。

「 話せば必ず伝わる 」「 ストレスを与えてはいけない 」など
ストレスを与えない言葉だけの教育で本当に人間教育ができるのか?

まれに
才能とメンバー、時の運などに恵まれたカリスマ教師などが、
その教育スキルを駆使し、
素晴らしい理想的な人間教育、学級運営ができることがあります。

しかし
だからといって、
素晴らしい教師は誰でもそのようなことができるはずだ!と

基準を飛躍させてしまうことは問題です。

普通の教師はそんなスーパーマンのようなことはできませんから、
その高い基準と理想に振り回され

悪くすると、学級崩壊を招いてしまいます。

現在の教育問題の本質は、
学校と家庭ともに、ここにあると私は思っています。

人間は誰しも
顕在意識 」と「 もうひとりの自分・無意識 」とがあって、

教育とは、
その両方ともを教育しなければならないのに、

「 もうひとりの自分・無意識 」の大きさに気付かず、
顕在意識の教育のみに偏重してしまっていることに問題があります。

むしろ、
人格の主導権を握っているもうひとりの自分・無意識 」の育成に重点が置かれるべきだと思うのです。

万引きしようと思ったけど、良心の呵責で思いとどまった 」
というお話がありますが、それは、

顕在意識 」で悪いことをしようと思っても、
もうひとりの自分・無意識 」の教育がしっかりしていたお陰で思いとどまることができたということです。

前回、
躾(しつけ)を取り上げて「 もうひとりの自分・無意識 」の教育法を取り上げましたが、
次回もう少し、その教育法について述べたいと思います。
<続く>

※当然のことながら、このブログはあくまで私の個人的な解釈です。

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