副住職の法話推敲記録ノート

信じることへの執着

2012.10.7
⇒前回からの続きです。

夫婦や恋人間で起こる
DVドメスティック・バイオレンス)の問題では、

周囲が心配して
早く別れたほうがいいよ
と忠告しても、

なかなか別れることができません

その理由はさまざまありますが、

私が選んだ人を、私が否定すること 」は
私自身否定してしまうこと 」になってしまう。

だから、
私が選んだものについて、「 強く執着してしまうこと 」があげられます。

これがもし、
恋愛初期の、まだ相手を探っている段階
客観視できる冷静さをもっている時の暴力であれば、

すぐにでも
別れることができるのでしょうが、

私が、その人を選んでしまった後では、
そう簡単にその執着を無くしてしまうことはできません。

自分が選んだことの正しさを証明しようとして、
本当の彼の姿は優しい人 」
「 今の彼はこうだけど、彼は必ず変われるはず

より一層、
のめり込んだり、入り込んだりしてしまうことになりかねません。

さて、実は、
私たちの宗教も同じような仕組みの危険性を持っています。

一旦、
それが私にとっての拠りどころになってしまうと、
その神様仏様の大ファンになってしまうと、

例え、
経済的に困窮しようとも、
少々、周りの人に迷惑をかけようとも、

私自身の存在をかけて
より一層、頑なにその信仰にこだわってしまうのです。

「 信仰は聖なるもの 」だと
思っているうちに、

信じることでの成功体験を積み重ねる度に、

どんどん
好きになってしまいます。

この神様がいれば、私は大丈夫 」
「 この神様がいないと、私はダメ

その段階に入ってしまうと、
それ以前にできたはずの冷静な判断が、

できなくなってしまうのが私たち人間です。

その結果、その宗教が
素晴らしいことだけをしているうちは良いのですが、
危険なことをし始めてもそれに気付くことができません

宗教がもつ共通の仕組み、
「 信じることへの執着 」は、

普通の判断力を失わせる危険性をはらんでいるのです。
<続く>

※当然のことながら、このブログはあくまで私の個人的な解釈です。

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