副住職の法話推敲記録ノート

そして仏教。

2012.11.11
⇒前回からの続きです。

これまで、
宗教の危険性、そして、
その共通の仕組みである「 信じることの危険性 」について述べてきました。

信じること 」は、
個人の中の範囲内で神聖なものであり、
心の拠りどころや行動の推進力の源になるものですが、

ひとたび
「 信じること 」が
周りの人にまで影響させようとすると、

その「 信じること 」が持つ特性によって、

必然、
エゴとエゴのぶつかり合いになってしまい、

しかも現実に根拠を持たないもの同士、
堂々巡りの争いを巻き起こしてしまって、

これまで幾度と無く、
歴史の上で血で血を洗うような争いが繰り返されてきました。

また、現在進行中の苦しみも存在しています。

私たちは、
そろそろその「 信じることの危険性に気づいて、
宗教が持つ危険性に、
真剣に向き合わなければならないのではないでしょうか?

という主旨のことを述べてきたつもりです。

さて、
そして仏教です。

仏教とは、禅とは、
もし、それを一言で端的に表すとすれば、

何にもとらわれないでただ現実を生ききる境地 」を目指すものです。

つまり、
信じること 」にもとらわれずに、現実を生きることを目指すのです。

ありのまま 」「 」の境地など、
仏教を表す象徴的な言葉がありますが、

私たち人間がつい持ってしまう「 こだわり 」「 とらわれ 」など、
そのようなものを無くしてしまうから「 無 」なのです。

実は、
仏教が拠りどころとしているものは「 現実 」です。

そして、
現実 」を「 ありのまま 」に見て、理解するように努めましょう。

それが、
私たちが「 苦しみ 」を克服する道であって、
そもそも、
私たちが思いを持ってしまうことから「 苦しみ 」が生まれてしまうのです。

その「苦しみ」生み出してしまう仕組みについて理解を深めましょう

私たちが苦しんでしまうのは、
「 正しい神 」を信じていないからではありません。

何故、私たちが苦しんでしまうのかという、
その現実のメカニズム、仕組みについて理解を深めていくことで
「 苦しみ 」の克服を目指すという教えでもあるのです。

このような仏教に興味をもたれた貴方!
これからも、是非一緒に考えていきましょう♪

< このシリーズは、
これで一区切りです >

※当然のことながら、このブログはあくまで私の個人的な解釈です。

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