副住職の法話推敲記録ノート

ポジティブ刺激とネガティブ刺激

2012.9.1
⇒前回からの続きです。

もうひとりの自分・無意識 」の教育方法についてです。

前回のブログで、

人はともすれば、言葉だけ
勉強しなさい 」といわれるほど勉強したくなくなる一面をもっているのに、

ストレスを与えない言葉だけの教育というものが成立しうるのか

まれに、
スーパー教師が理想的な教育を実現することがありますが・・・。
というような取り上げ方をしました。

ただし、人間は誰しも
顕在意識 」と主導権を握っている「 もうひとりの自分・無意識 」が同居して存在しているので、

スーパー教師、スーパーお母さんといえども、
「 顕在意識 」だけに働きかけて、

「 もうひとりの自分・無意識 」を無視するような教育は、実は 不可能 です。

例えば、
「 よくこんな大変なことが出来たね♪ 」と言葉で「 褒め 」たり、
「 これだけ頑張って、この目標が達成できたら、お祝いしようね! 」と「 ニンジン作戦 」をとってみたり、

つまり、
「 もうひとりの自分・無意識 」が 喜ぶ 、言わば「 ポジティブ刺激 」を駆使しているのです。

反対に、先に例をあげていた、

しつけ)、
強く叱ったり、叩いたりなどは、「 ネガティブ刺激 」とでも言えると思います。

私は
もうひとりの自分・無意識 」の教育方法については、

その
ポジティブ刺激 」、「 ネガティブ刺激 」、

両方ともを、バランス良く工夫されるべきだと考えていて、

現在の教育においては、
「 ネガティブ刺激 」を全否定し、「 ポジティブ刺激にばかりスポットを当てている風潮が問題だと感じています。

次回は、
「 ネガティブ刺激 」の必要性とバランスについて述べたいと思います。
<続く>

※当然のことながら、このブログはあくまで私の個人的な解釈です。

江南 永正寺(葬儀改革、癒し空間、コンサート)

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