お寺に入る前の職場の機関紙に文章を投稿させていただいています。
その11です。
『お寺の今、お寺の未来』です。
画像はクリックすると大きくなって読めると思いますが、
下に、原稿をのせておきます。
ご興味のある方は是非どうぞ。
『世の中が急激に変わりゆき、
油断しているとあっという間に取り残されてしまう時代です。
私が3年間修行寺に籠もっている間にも世界は激変していて、
娑婆世界に戻ってくるとまさしく浦島太郎。
IT化、グローバル化で様々なサービスやコンテンツが見向きもされなくなり、
新たなものにとって代わられていました。
携帯から高性能スマートフォンへ切り替わり、
ツイッター、フェイスブック、動画、音楽、電子書籍、ゲーム、ニュース、広告、ショッピング等、
それらスマートフォン活用に大きく影響され、
既存のモノが大きく変わる時代です。
電車内で新聞や雑誌を読んでいる人を見かけなくなり、
むしろリアルタイムのニュース情報を得ながら、
ゲームや音楽などのソフトも無料で楽しみ、
欲しいものもネットで買えて、
一度買ったものの関連商品が望まなくても自動的に広告表示され続けています。
ふと問題発言をつぶやけば一気に拡散炎上する風潮が、
ある意味、
モラル意識の高まりも促進しているようです。
そんな中、
お寺の世界だけは、
良く言えば旧き良き伝統を守り続け、
悪く言えば旧態依然として全く変わろうとしないものでした。
数年前、
地域の仏教会のバス旅行で、
バスの中でタバコを吸う人がいることには、
さすがに驚きましたが、
お寺の世界では未だに会議の時に灰皿を準備することが当然であったりします。
また、
会計や檀家管理も、
未だに手書きのままのところもある業界!?です。
急激に変わりゆく世の中だからこそ、
変わらないでいることの価値があると思いますし、
この気忙し過ぎる俗世間に疲れた時、
時の流れ方の違うお寺の雰囲気にホッとし癒されるものだとも思います。
しかし、
これほど変わらなかった、変わりようのなかったお寺が今、
変わろうとしています。
世の中の急激な変化と意識が、
お寺にも大きな影響を及ぼし始めているからです。
以前までは、
「結婚式は親の見栄、葬儀は子どもの見栄」という言葉があり、
特に名古屋文化圏は結婚式の菓子まきや嫁入り道具、
葬儀でのお供え花など派手なことが特徴でしたが、
地域社会の崩壊=無縁化が進行すればするほど、
見栄をはる対象が居なくなり、
またごく一部の富裕層とそれ以外との2極化の圧倒的な進行と、
超高齢化による介護費用の増加などによる経済的疲弊があり、
葬儀はどんどん小型化していく一方です。
多くの親族が久しぶりに集まって
互いの成長や近況を確認し合う貴重な場であった法要が、
核家族化でその意義が薄れつつもあります。
観光寺院にはいったことはあるけれど、
自分が檀家のお寺に行ったことのない人が増え、
小さい頃お寺で遊んだことを懐かしむ人がいなくなりつつあります。
そして今、
「寺離れ」、「終活」、「エンディングノート」、「お布施」、「僧侶のAmazon派遣」などさまざまなキーワードが、
メディアで取り上げられ関心を呼んでいます。
果たしてお寺はこのまま旧態依然で良いのか?
既得権益に胡坐をかいていて良いのだろうか?
ようやくこのところ、
現在のお寺のあり方に対して危機感をいだく僧侶が増えてきました、
もう引退間近の高齢僧侶は
「自分達の代はこのままで良かったけれど、これからは大変だな」
とどこか他人事ですが、
特に数十年後を心配する青年僧にその危機感は高まりつつあります。
既存宗派の本山も対策に乗り出そうとしていますが、
組織が古く大きいだけになかなか機動的にはなれません。
しかしこの状況下、
実は注目すべき動きがあるのです。
東京大学を卒業後、
インドの大学でMBA(経営学修士)を取得された松本紹圭師が、
5年前から開講している『未来の住職塾』では、
受講生が1年間かけて自分のお寺について経営分析と行動計画をたて、
事業計画ならぬ「寺」業計画書を作成しています。
これまでその卒業生が全国で300人を超え、
既存宗派の垣根を超えて交流しあい、
大きな動きを生み出しつつあります。
私自身も4期卒業生です。
この連載のタイトルは「お寺を活用しませんか?」です。
身近の意欲のあるお寺さんをお探しの方があれば、
お声かけくださればご紹介いたしますよ。』