2013.6.24
⇒前回からの続きです。
ジャレド・ダイアモンドさんの 『 昨日までの世界 』 という本があります。
ジャレド・ダイアモンドさんは
ピュリツァー賞受賞作 『 銃・病原菌・鉄 』 で知られる米進化生物学者です。
『 銃・病原菌・鉄 』 は、
(過去にこのブログで一部分だけを取りあげたことがあります⇒「ウマとシマウマ」)
「 なぜ ヨーロッパ人 が 全世界を征服し、その逆にならなかったのか? 」
という問いに対して、
人種の優劣ではなく、
地形などの環境要因による違いであることを、
見事に解き明かした、素晴らしい作品です。
また、
『 文明崩壊 』 では、
世界の七不思議の一つとも言われる!?イースター島のモアイ像について、
明解に、科学的に解き明かしていることなどをはじめ、
これまで崩壊してきた文明についての検証とその教訓が、
私たちの今後への示唆に富む、これまた素晴らしい作品です。
まだ、
お読みになられていない方は、
2冊とも是非、読んでみてくださいね!
そのジャレド・ダイアモンドさんの
最新作 『 昨日までの世界 』 では、
私たちが今暮らしている、
高度文明社会と対比させた、
昨日までの世界である、
「 伝統的社会 」(狩猟採集社会、部族社会など数十人から数千人規模の社会)の特徴について、
良いところも悪いところも含めて分析され、
これからの私たちの社会の在り方の参考にしようとされている本です。
長い前置きですが、
ここからが⇒前回の続きです。
私たちは、今、
この「 高度文明社会 」で暮らしていますが、、
法律、道徳、倫理、宗教など様々な価値観があり、
その社会から求められる人間像、
社会に必要とされ、
社会に迷惑をかけない、
それらの理想的、理性的な人間像を、
強く求められ、教育され、私たちは今を過ごしているのですが、
「自分はこうならなければならない」
「自分はこうあるべきだ」
あるいは、
「よき母として」
「男として」
「立派な社会人として」
・・・。
多かれ少なかれ
私たち誰しもがもつその葛藤。
「本音と建前」
あるいは
「良心の呵責」という言葉もあります。
まさに、私たちはこの社会の中、
なかなか「 もうひとりの自分・無意識 」に素直に生きられない存在なのです。
しかし、
けれども、
「 伝統的社会 」に住む人は、
父親、母親の役割分担や、
危機回避のために執拗なほど!?注意深く行動するなど
ルールや掟のようなものももちろんあるのですが、
まるで、
生存本能が必然的にそれを選んだごとく!?
何かの社会的役割を ”演じている“ ことがない。
常に自信に満ち溢れ、生き生きと自分らしく生きている人が非常に多く、
「本音と建前」、「良心の呵責」などに さいなまれることもなく、
メンタルヘルス上では、全く健康であるようなのです。
(注:これは「昨日までの世界」を読んだ上での、飛躍も含めた私の解釈であり、必ずしもジャレドダイアモンド氏が言及していることではありません)
ただ、メンタルヘルス上素晴らしいからといって、
もちろん、全てが素晴らしいと言うわけではなく、
時として起こる 殺人 などについても、
その犯人!?(犯人という意識すらないかもしれない)は、
全く悪びれることなく、自分の立場を主張することが当然の社会でもあるのです。
<続く>
※当然のことながら、このブログはあくまで私の個人的な解釈です。
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