お寺に入る前の職場の機関紙に文章を投稿させていただいています。
その16です。
『永正寺の葬儀改革の始まり』です。
『これまで
様々な永正寺の取り組みやその思いを紹介してきましたが、
実は、
永正寺の最も重要で、
最も長い期間行い、
改善し続けてきたことは、
「葬儀改革」の取り組みです。
今では一般的な
「葬儀ホール」というものが無い時代。
葬儀といえば自宅で行う
「自宅葬」が一般的で、
その場合、
座敷に祭壇を備えることや、
家族、親族の控え室などに必要で、
家中の部屋を整理・掃除しなければならず、
それだけでは足りなくて、
隣近所の家も「寺院控え室」として借りて、
もちろん人手も
「取り持ち」といわれる町内総出のような状態で、
車はズラーっと家の前に路駐するという、
今では考えられない大変なことでした。
お寺の本堂を借りて葬儀をすることも一般的でしたが、
参列者用のテントを張ったり、
本堂内をほとんど白い布で覆ってしまうような作業など、
費用面なども含め、
大変なことでした。
そのような数10年前の時代から、
葬儀専用のホールいわゆる「葬儀ホール」が各地で作られはじめ、
あっという間!?に広がって、
「多死社会」を迎える今、
至るところに林立しています。
中には、
結婚式場をリニューアルしたもの、
コンビニの空き店舗が
「家族葬」専用のホールになっているものがあるなど、
そういう時代になりました。
その移り変わりの時代、
今から20年ほど前、
それまで永正寺の本堂を葬儀に使用していた何社かの葬儀会社が、
それぞれ専用の「葬儀ホール」を建設することになったのです。
そうなると、
永正寺の檀信徒なのに自分の家の葬儀が
菩提寺(永正寺)でできなくなってしまうこと、
また、
それまでの葬儀・本堂使用料という収入が
見込めなくなることなどもあり、
永正寺では、
その対応について総代役員会を重ね、検討を行いました。
結果、
永正寺で葬儀を継続して行うことを決め、
これを機会に、
より檀信徒のための葬儀となるように
改革をしていくことになりました。
それまで葬儀の度に、
葬儀会社が持ち込んでいた
「祭壇」を、永正寺が購入し倉庫に保管、
当時数100万といわれた葬儀祭壇の費用を
2分の1、3分の1、それ以下にしました。
それまでの出入りの葬儀業者とは
必然!?同業のライバル関係となり、
葬儀の依頼が葬儀会社にあっても、
それまでは当家が「臨済宗妙心寺派」で檀那寺が無い場合、
永正寺を紹介されることがありましたが、
その後一切無くなったり、
こちらからも
今までのように葬儀の運営をお願いすることもできなくなりました。
そこで、
その他のまだ専用ホールを持っていない「自宅葬」専門の葬儀会社と専属契約を結び、
円滑に葬儀が執り行えるようにしたことが、
永正寺の葬儀改革の始まりです。
葬儀・貸会場としての本堂使用の期間に、
冷暖房の整備、通夜で親族が泊まることができるような風呂、布団など設備改善を進めてきたこと、
また、
葬儀会社の運営の仕方・ノウハウだけにとどまらず、
葬儀費用のどこで利益を得ているのか?など
利益追求の考え方や仕組みについても十分な理解を深めてきたことが、
「葬儀改革」をすすめていく上で、
大きな財産になりました。
今、改めて寺院葬儀を進めていこうという動きが
全国的に起こりつつありますが、
「葬儀ホールに出かけてお経を詠むだけ」の経験しかない僧侶では、
なかなかハードルが高いものだと感じています。
「あれから20年」(綾小路きみまろさんではありませんが)。
時代が移り変わり、葬儀に対する意識の変化の中、
様々な工夫を重ね、今ではすっかり、
永正寺の葬儀が地域に定着し、全国から注目されるようになりました。
その取り組みや工夫は多岐にわたりますが、
これからこの連載で紹介していきたいと思います。』
コメント