お寺に入る前の職場の機関紙に文章を投稿させていただいています。
その22です。
『グリーフケア・葬送文化』です。
『先日、同い年で75歳になる私の両親が結婚50周年とのことで、
両親、姉、私の4人で食事会をしました。
我が家の家風は、
節目や季節ごとの行事をほとんどしてこなかったスタイルで、
4人揃っての食事は記憶にないぐらいの久しぶりの貴重な機会です。
お店は「料亭」とかではなく、
私が小さな子どもの頃、
小さな借家住まいで、
両親はまだ車を持っておらず、
自転車2台に祖母を含めた5人で片道20分かけていった「釜めし」のお店、
無理やり3人乗りの自転車が危なっかしく
途中で警察に注意!?されたりしながらも行った、
当時の我が家にとっては貴重な外食の機会であった、
懐かしい思い出のお店にしました。
それから月日が流れるあいだ、
持ち家を建てて引越して、
私たち子どもが学校を卒業し社会人になりなどと、
これまでのそれぞれの人生に
想いを巡らせながらのひと時を過ごしました。
振り返るとそれなりにいろいろなことがありましたが、
長いようでもあり、あっという間にも感じて不思議です。
過去を振り返り懐かしむだけでなく
これからのことに目を向けると、
そう遠くない時期にこの4人で会えなくなってしまう事実が、
より現実的に身近に迫っているような気がしました。
平均寿命が男女とも80歳を超えるなか、
病気はいくつもかかりながらも、
今のところはおかげさまに過ごしている両親ですが、
いつなんどき何が起こっても不思議でない年齢になっています。
そろそろ心づもりや準備、覚悟をしないとと思いますが、
いざその時に直面する自分自身が、
いったいどれほどの悲しみや寂しさを感じるのか?
現時点では想像しようとしてもしきれない限界を感じます。
突然の別れなのか、余命宣告を受けるのか、長く介護状態になるのか、
認知症などはどうなるのか?災害や事故などの場合は?など、
お別れの仕方・過程によって、
寂しさや悲しみの感じ方も大きく変わるのだろうなどとぼんやりとしか想像できません。
それはその場に直面してこそようやく初めて味わうものだと、
僧侶として葬儀の場、ご遺族に関わる中で感じています。
そして、故人との関係性、思い出はそれぞれ唯一無二。
似たようなものはあっても同じものは全く無いので、
遺族、友人ひとりひとりにとって極めて「私的」な感情を抱えることになります。
近年「グリーフケア」という言葉で、
身近な人との死別による、悲しみや苦しみ、
喪失感をケアしていこうとする取り組み、研究がされています。
極めて私的な感情に対するケアは、
「大丈夫だよ」という同じ言葉でも、
「ありがとう」と救われる人もあれば、
「あなたに何がわかるの?」とより傷ついてしまう場合もあります。
非常に繊細でデリケートでナーバス(神経質)な状態の心の扱い、
対応方法は、なかなかわかりやすい正解があるものではありません。
自分自身で「悲しみを乗り越えよう」と頑張れば頑張るほど、
かえって悲しみが増してしまい無意識のうちに身体に負担をかけてしまっていたり、
反対に悲しみに浸りすぎても、より深い悲しみに入り込んでしまって、
そこから抜け出せないことにもなりかねません。
私たちは誰しも「大切な人との別れ」はいつか避けられない現実ですが、
だからこそ、その悲しみや苦しみを癒していく
「グリーフケア」の工夫、実践は共通の課題です。
人類が誕生して早々、
死者を弔う儀式がなされていたとの研究があります。
文化や文明が生まれ発達するずっと以前から、
私たち人類は身近な人の死を悲しみ悼み、
そして弔ってきたようです。
そこから長い年月を経て、
宗教、文化、地域風習などと関連しながら変化し、
受け継がれてきた「葬送」という文化。
現代の日本では多くは仏式で葬儀・法要が行われています。
そして今、その意義、必要性が社会的に問い直されています。
「グリーフケア」としての葬儀・法要の意味を、述べていきます。』
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