2013.2.18
⇒前回からの続きです。
前回私は、
「個人情報をあえて公開する試みこそが、
このギスギスした高ストレス社会が緩和され、
無縁社会から有縁社会へと転換していくための、
非常に大きなキーポイントではないかと提起しました。」
言わば、
「 (一部)個人情報共有社会 」です。
この基本的な考え方は、
個人の権利を主張し過ぎてしまって、
お互い他人との接触を極力避け合う「無縁社会」を作ってしまう反省から、
個人の権利は無制限に主張できるものではないという、
心の歯止め効果を期待し、
隣近所など人と人が関わりあって
(しがらみや義理や面倒なことも含めて)
だからこそ親近感や助け合いが生まれる土壌となる「 有縁社会 」をつくること。
また「 匿名社会 」にみられる、
人間の負の部分の肥大化させ、攻撃性を増大させてしまう特徴について、
「 実名社会 」を実現することでその緩和を目指し、
個人個人が責任を持って、
相手に対して思いやりをもった発言ができるような、
( つまり、自分自身も無責任な攻撃をされにくい )
「 低ストレス社会 」を作ることです。
その前提で、私は実は、
「 名前 」と「 住所 」だけは、
個人情報の保護対象から外したらどうかと思っています。
その他の付随情報、
電話番号、性別、年齢、家族、職業、趣味、、、などについては、
これまで通り保護して、
つまり、
同窓会名簿のように生年が特定できるものが含まれる名簿は
保護対象となり、
あくまで
住所と氏名だけについて、
情報公開を原則とするものです。
それでも、
「 そんな馬鹿なっ! 」
「 住所と名前が知られたら大変なことになるっ! 」
と感じてしまうかもしれませんが、
不要なダイレクトメール(DM)が送られてきても
無視すればいいのですし、
訪問販売などの問題は、
単身の高齢者や事情のある人については、
クーリングオフの制度を無期限にするとか、
契約自体が誰か保証人のサインがないと成立しないとか、
別の方法で対応ができるのではないかと思います。
近年あるストーカーの問題については、
特に特別な配慮が必要なのは明らかですが、
それ以外の、
特段の事情のない場合は、住所と氏名を公開しても、
日常そんなに不都合なことはないのだと思います。
原則、名前と住所が公開になれば、
知人を訪ねて行くようなことがもっと出来るようになり、
人間関係が活発になり、
付き合いごとなどが増えて面倒なところがある一方、
その面倒な付き合いがあるからこそ、
その分!?その反面で、顔見知りという信頼関係の基礎が出来上がるものだと思います。
実証の難しい、
個人情報保護の問題についての提言ですが、
危ないから危険だから守ろう保護しようという考え方だけでは、
この無縁社会、匿名社会の
高ストレス社会を変えることはできないのだと思います。
私たちは、
共有すべき個人情報について検討し考えていくべきだと思いますが、
いかがでしょうか?
<続く>
※当然のことながら、このブログはあくまで私の個人的な解釈です。
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