2012.9.15
⇒前回からの続きです。
叱ったり、叩いたりする、
よく効く「 ネガティブ刺激 」は、
一歩間違えた最悪の場合など、
精神的トラウマ、体罰で深刻な後遺症が残ることがあるから絶対にしてはいけないのか?
教育関連の問題が
TVなどのマスコミを賑わす度に、
教育評論家やコメンテーターが、
「 人権侵害だ 」
「 体罰は絶対にあってはならない 」
「 子どもにストレスを与えるのは教育ではない 」
「 思いは必ず伝わる 」
など繰り返し繰り返し、当然のことのように発言をしたり、
街の声として同じような意見があるのを幾度となく見てきました。
確かに、
メディアに取り上げられるような悲惨な事故や事件については、
誰しもが二度とあってはならないことだと感じるでしょうし、私もそう思います。
けれども、
だからといってその感情のおもむくままに、
「 オール or ナッシング 」で、
全ての「 ネガティブ刺激 」が完全否定される論調については、
本当にそれで良いのかと疑問に思います。
確かに、
褒めたりニンジン作戦の「 ポジティブ刺激 」のみで教育することは、
理想ではあるかもしれませんが、
その個別性の工夫の難しさ、強制力の弱さ、遅効性などの特性のため、
素晴らしく良く育つ子もいる反面、
どうしても一部、
躾(しつけ)が足らない子などがでてきてしまうのだと思います。
例えば、
水をすくいにくい穴の空いたボールで、水をすくおうとしても、
穴の大きさにもよりますが、
多くの水をすくっても、一部どうしても漏れてしまうような。
「 話せばいつか分かってくれる 」と語り続け、
叱ったり、怒ったり、叩いたりをしない場合、
多くの場合は、いつかその言葉の大切さがわかる時機がくるのかもしれませんが、
相手の変化を待っている間に、他にもいろいろな問題がおこってしまい、上手くいかなくなる場合があります。
そもそも私たちは、
余程、躾(しつけ)がしっかりできている場合以外は、
大人の言うことは、うるさいだけで、
自分がやりたいことだけをやりたがるものです。
近年の教育現場にみられる「 学級崩壊 」や、
最近、
取りざたされる「 新型うつ病 」などは、
この、言わば、
「 躾(しつけ)不全症候群 」の影響を無視できないのではないかと私は思っています。
ですから、私は、
叱ったり、怒ったり、叩いたりの「 ネガティブ刺激 」は、
ボールの穴をできるだけ塞いで、
ほぼ全ての水をすくえるような役割として、
その一部をしっかりと認めることが大切なのだと思っています。
つまり、
「 オール or ナッシング 」ではなく、一部を認めるということ。
叱ったり、怒ったりすることは、教育にとってあくまで必要なこと。
けれども、過度な人権侵害、トラウマのような精神的傷を負わせるようなものはいけない。
叩いたりする体罰は、
あくまで、安全を確保して行うこと。
感情に任せて頬っぺたをひっぱたこうとするから、指が目に入ったりして失明してしまうとか、
頭を強くうって亡くなってしまうとか、重大事故につながります。
イギリスの伝統的な躾(しつけ)方法の
おしりをムチのようなもので叩いたり、
韓国のように、ふくらはぎを叩いたりすることなどに限定すれば、
重大事故は防ぐことができると思います。
これらのような、
安全を確保した上での言わば 「 安全体罰 」 に限定して認めたらどうか。
このようなコンセンサスをつくることが、
家庭教育でも、学校教育でも大切だと、私は提案したいと思っています。
そして、実は、
適度に、「 ネガティブ刺激 」を入れる方が、
より「 ポジティブ刺激 」の効果が高まることにつながるのだと思います。
<結構長く、このシリーズを書いてきましたが、
今回で一区切りとなります。>
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