お寺に入る前の職場の機関紙に文章を投稿させていただいています。
その7です。
『どうするお墓?どうなるお墓?永正寺のオリジナル集合墓が好評です。[2] 』です。
画像はクリックすると大きくなって読めると思いますが、
下に、原稿をのせておきます。
ご興味のある方は是非どうぞ。
『きっかけは他でもない、
永代供養墓専門の石屋さんが営業で訪ねて来られたことでした。
「今からの時代、永代供養墓への要望が高まってきますよ!」
「この機会を逃さずに、是非ウチのこのタイプのものを導入しませんか?」。
もちろんそれ以前から、
住職と私(副住職)で検討を重ねていて、写経を収める「永正寺・悟りの大塔」を永代供養墓に転用する試みなどをしていたのです。
それでもなかなか思い通りいかず、
その時は中断していたままでした。
この機会に本腰を入れてもう一度、リスタートしたのです。
実際にその業者のプランを聞いてみると、
いわゆる合祀墓タイプでした。
観音像や仏像、
御堂の意匠を凝らした石造りのモニュメント。
納骨スペースは1箇所のみ、
全ての人のお骨を一緒に合祀します。
戒名・俗名などが入った一人一人の銘板(ネームプレート・石造)を
モニュメントの側面にはめ込んでいくもので、
「THE合祀墓」と言ってよいほどの典型です。
ただ大きな疑問が湧いてきます。
「かけがえのない大切な人を亡くして、
もう一度会いたいとどれだけ願っても実際には会えない。
けれど、
その人が眠っている『お墓』に来ると不思議と心が落ち着いて、
もう一度会え、お話できたような気持ちになる。
それが『お墓』です。
この合祀墓で、本当にそのような実感が得られるでしょうか?」
もちろん供養の本質は「心」です。
どんな形のものであれ、
それが心の拠りどころや信仰の対象となり得るかは、
まさにその人の「心の持ちよう」しだいです。
けれども「心の持ちよう」だからこそ、
実は、
カタチが(も)とても大切であるのが私たちの悩ましさです。
大切な人を亡くしてポッカリと空いた心の穴。
寂しさ。
喪失感。
震災の津波や災害などで、
見つからないままなかなかその心の空間を埋めきれないことで苦しんでしまったり、
戦後70年を経ても遺骨収集が継続されたりしています。
何のあとかたもなく無くなってしまったけれど、
せめて「御遺骨だけはそこに在る」という確信こそ、
私たちの大きな安心に寄与し、
心の拠りどころとしての重要な役割を持っているのです。
最近、
「私が亡くなったら、
あなたにお墓などの面倒をかけたくないから、
海にでもまいてほしい」と
散骨を希望される方がありますが、
故人の遺志を尊重したは良いものの、
一度してしまったら取り返しがきかないことなので、
残された家族が後悔されないか心配にもなるのです。
もちろん「心の持ちよう」なので、
ちゃんと心に収まる方もいるはずです。
ですが多くの人にとって、
「御遺骨の存在」の持つ意味は、
理屈や理念を超えるほどのものなのです。
だからこそこの「合祀墓」、
本当にその実感が伴うものになるのか?
心の拠りどころとなり得るのか?
「合祀墓」も一度納骨したあとは取り返しができません。
また実は、
そもそもこの「合祀墓」の始まりは、「無縁仏のお墓」です。
何らかの事情で身寄りのない人が亡くなられた場合、
個別のお墓を建てても当然誰もお花替えや掃除お参りに来られる方がいないのです。
それでも、
安心して眠ることのできる場所が必要ということで、
それならと合同のお墓に一緒にその対象の方が入られるというのが
「合祀墓」です。
その意味の限りでは全く問題なく、
むしろ最も相応しい形のお墓のあり方です。
けれども、
現代的なお墓を持てない問題は、
身寄りが無いのではなく、
「ひとり娘が嫁いだので、
私たち夫婦のお墓をもつわけにはいかない」など、
縁のある人はいるけれどもお墓を持ちにくいという問題なのです。
合祀墓も海での散骨も、
亡くなる本人の遺志は尊重できても、
残された私たち側の追慕の気持ちに寄り添う、
心の拠りどころとはなりにくいのが実情です。
お骨を一人一人個別に納骨できる、
これまでのお墓のような実感の伴うカタチ。
その模索こそ
「永正寺・オリジナル集合墓」の第一歩だったのです。
【続く】』
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