お寺に入る前の職場の機関紙に文章を投稿させていただいています。
その19です。
『変わりゆく葬儀』です。
『世の中の移り変わりは、
気づかないうちに少しずつ徐々に変化していくものもあれば、
何の前触れもなく!?劇的に変わることもあります。
私が車の免許を取得した30年ほど以前は、
新年を迎えると車のナンバープレートに
「しめ縄」をほとんどの人がつけていたのですが、
急に誰一人としてやらなくなりました。
ひょっとして一過性の流行だったのでしょうか?
また、
子どものころ楽しみだった「嫁入りの菓子まき」も廃れて久しい風習です。
私も姉の結婚式で、
姉が実家を出る時に屋根から大量のお菓子を放り投げた記憶があります。
もともとこの辺り名古屋文化圏は、
とにかく派手にお金をかけて行うことが特徴の土地柄で、
嫁入り家財道具をトラックで運んだり、
当時「名古屋嫁入り物語」などドラマシリーズ化され話題になったほどで、
今考えてみると隔世の感があります。
派手なのは結婚式だけでなく、
「結婚式は親の見栄、葬儀は子の見栄」と言われていたように、
葬儀にも非常にお金をかけて祭壇を組み、
多くの参列者に来ていただいて別れを惜しみ、
僧侶も何人も呼んで行うことが普通であったことが、
ついひと昔、ふた昔前!?のことです。
永正寺では「婚活」やお寺で結婚式「和みの寺婚式」を行っていることもあって、
ウエディングプランナーさんと知り合いにもなるのですが、
お話ししてみると「結婚式」と「葬儀」の世の移り変わりは
非常に似通っていて、
派手婚→ジミ婚、スマート婚、ゼロ婚に対して、
一般葬→家族葬、小規模葬、直葬(葬儀を行わずに火葬のみ)と、
以前当然で普通であったことのカタチが変わり、
それを表す名称が浸透していきます。
その浸透とともに、
あるいは相乗効果も生み出しながら、
私たちの意識が変化し文化風習の姿が様変わりしていきます。
ただ、少子化、晩婚化で結婚件数自体が減少していること、
「結婚式をしたほうがいい」
「結婚式をちゃんとしたほうがケジメがついて、離婚率は少ない」などと
意義付けをしてもなかなか今後の展望は難しいウエディング業界に比べて、
「多死社会」に突入している今、
葬儀件数自体は増えていきますし、
大切な人を亡くした悲しみを癒す「グリーフケア」としての葬儀の意味は、
やはり非常に大きな役割があって、
これまでの経過は同じようでも今後については違う道を進んでいくのかもしれません。
葬儀も結婚式も、
これまでの小規模化してきた大きな変化の原因は、
やはり、
地域社会の希薄化、親族や家の意識が薄まってきていることだと思います。
日頃は挨拶程度でほとんど関わることの無くなった隣近所、
地域社会がどんどん薄まって、
親族も会う機会が少なくなればなるほど親密さが薄れ、
「一緒にいるとお互い気を遣うことが大変だから」
「できるだけお互いの生活を尊重して干渉しあわないように」と
家族でも同居をしないことが当たり前になっていくうちに、
「あっ!」と気づくと、
そもそもそれ以前まで私たちが見栄をはっていた、
隣近所、地域、家族などの「誰か」が誰もいなくなってしまっていたという。
「あの人はそうだったかもしれないけれど、私は私(のやり方)で良いのでしょう?」
「誰かに何かを言われても気にしない(ならない)」
「私のしたいことをすることが一番大切」。
良い悪いではなく、私たちの意識が変わっていきます。
周りの人を含めて調整してコーディネートしていくのではなく、
たとえ人数が少なくても「私」が納得し、満足できるものを。
あらゆる業界が、個別の嗜好に合わせた対応を強化しています。
個別対応ができるところが成功していく時代かと思えます。
あらゆる世代の経済的困窮が問題化している今、
「お金をかけたくてもかけられない」
「医療介護費用で蓄えがない」
世帯が増加していく一方ですが、
地域社会、親族のつながりを基に助け合っていた「香典」も、
受け取りを辞退されることが多くなってきています。』
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