2013.3.5
⇒前回からの続きです。
「 お金は大切です。
イザというときのために貯めましょう。 」
「 できるだけ生活を切り詰めて、
多く蓄えて老後に備えましょう。 」
「 貯蓄は、あればあるだけ良いのです。 」
家計のやりくりなど、
お金は大切だからできるだけ使わず貯めることが奨励されることがあります。
節約、清貧こそ美徳!
仏教でも「足るを知る」などの観点で語られることもあります。
これは、
ついつい浪費をしてしまう私たち人間にとって、
大切な戒めであり、
とても尊いことに間違いはありません。
とても尊い行いであることに間違いはないのですが、
しかし、
私たち全員が皆、誰も彼も、
「お金は大事、お金は大事」と
貯金ばかりに明け暮れてしまったら、
誰も、
お金を使わないのですから、
物が売れない⇒給料が下がる⇒もっと物が買えない⇒会社がつぶれる⇒・・・・
遅かれ早かれ、経済が行き詰まって、
かえって暮らしにくくなってしまうのは明らかです。
大切だからと
大事だからと、
自分のところにお金を貯める一つ一つの行為が素晴らしくても、
全員が行ってしまえば、
実は、みんなが困ってしまうのです。
何でも経済効率を追求することが大切だということではありませんが、
「 金は天下の回りもの 」
みんながある程度、
お金を使って循環させることが、
暮らしやすい世の中つくる、重要で必須な条件でもあるのです。
今、取り組まれようとしている、
アベノミクス!?も
企業がイザという時のために蓄え続けている内部留保や、
将来不安だからという私たちの貯金を、
市場に出させて循環させようという刺激策が、
重要な柱となっているようです。
この政策の細部あるいは全てなどについて、
分析や肯定、否定などをするつもりはありませんが、
お金を循環させる必要性については、
全くその通りだと思っています。
さて、この、
「 大切だからと
大事だからと、
自分のところにお金を貯める一つ一つの行為が素晴らしくても、
全員が行ってしまえば、
実は、みんなが困ってしまう。」
これは、
経済のことだけではなく、
実は、
これまで「無縁社会」で取り上げてきた、
個人の自由や権利についても、
同じようなことが言えるのだと私は思っています。
「 自由や権利は大切です。
お互いできるだけ認め合いましょう。 」
「 できるだけお互いの自由を、
尊重できる社会を作りましょう。 」
「 自由や権利は、認められれば認められるだけ良いのです。 」
できるだけお互いの自由を認めるために、
特別な用事がない限り、訪ねていったり連絡もしない。
面倒な義理はできるだけなくしましょう。
自分のことは自己責任で全て行いましょう。
個人情報については漏らしてはいけない。
・・・・・。
それら一つ一つがとても大切なことでも、
その集約された社会の姿は、
まさしく
「 無縁社会 」、「 疎遠社会 」、「 孤立社会 」、「 自己責任社会 」、「 匿名社会 」です。
そして今、
その只中に私たちはいるのです。
私たちは、
本当にこのような社会を望んでいるのでしょうか?
お金が大切だからと皆が溜め込んでしまえば
経済が行き詰るように、
人権が大切だからと保護する一方では、
人間関係が硬直化、限定化し、地域社会が崩壊してしまう。
経済にお金の循環が必要であるならば、
地域社会にある意味での人権の制約も必要なのではないか?
もちろん、実は!?
この人権の制約は、特に新しいことではありません。
これこそ即ち
「 公共の福祉 」のことだと思うのです。
けれども、現代日本では、
個人の権利が何にも侵されるべきでない聖なる権利として考えられるようになってしまっているようです。
「 公共の福祉 」は今、肩身が狭いものです。
<続く>
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