副住職の法話推敲記録ノート

葬儀の香典について

2013.3.10

永正寺ホームページの「葬儀・家族葬について」のところで、
『香典』について書いてきました。

よろしければ、
是非お読みください。
⇒http://eishojisougi.blog.fc2.com/blog-category-7.html

そのまとめとなる文章を、
中外日報に掲載いただきましたので、

その文章を下記に載せます。
少し!?長いですが、

よろしければどうぞご覧くださいm(_ _)m

『 中外日報投稿文 2013.3.5

「香典システムの再活用を!」 臨済宗妙心寺派 永正寺副住職 中村建岳

大切な友人の突然の病死。
その連絡を受けて全く混乱してしまって、その現実を受け入れることができないし、その現実を変えることもできない。どうにもできない心のもどかしさ。

この現実に対して全く無力な自分だけれど、心で一生懸命弔って最後のお別れをしよう。
そして、せめてもの思いを香典に込めて渡そう。悲しいけれど私にはそれぐらいのことしかできない。

とるものもとりあえず駆けつけた通夜で、
そうした香典を受付に渡そうとした時、
「今回、ご香典は謹んでご辞退申し上げますとのことですので・・・」と受け取ってもらえない。

「え?受け取ってもらえないの?」
せめてもの思いが宙を彷徨う。そして焼香の御礼品だけを受け取る。

振り返って会場を見てみると、突然の悲報に溢れかえらんばかりの参列者。
けれども何故だか、祭壇はその葬儀ホールの小さい方の部屋に設置されている。

「・・・」。
瞬間的にご遺族の経済的負担について頭をよぎる。
「ひょっとしたら、私は参列しなかった方が良かったのだろうか?」
「参列者が増えれば増えるほど、金銭的負担が増す一方だ」
「明日の葬儀、私は来てはいけないのかも」

「でも、かけがえのない大切な友人に最後のお別れに来られないなんて考えられない」
「何だか、心苦しい」。

葛藤を抱えながら静かに席に着く。

これは実際に私が体験した葬儀ですが、
最近このような、香典を受け取られない葬儀が多くなってきました。

その理由は、
故人の遺志で参列者に負担をかけたくないということ、
職場や地域などの義理で参列されることを敬遠して近親者のみで葬儀を行いたいという意向の強まり、

そして、
参列者が多ければ多いほど香典を受け取った後のお返しが大変で苦慮してしまうことなどがあげられます。

これまで香典というシステムは、
誰もが避けることができない死という局面において、
その葬儀にかかる費用、
そして遺族がゆくゆく心の区切りをつけながら始めていく新しい生活への経済的なサポートという、

大変重要な位置づけで、
慶事の結婚式のご祝儀とほぼ同様に長く行われてきました。

あなたの次は私の番と、
ある意味順番にみんなで持ち寄る互恵関係、互助システムが基となる大切な生活の知恵でした。

それがいつの頃からか「香典受け取り拒否」の葬儀が行われるようになり、
そしてそれは、その場限りで終わらず、さらに増加していく事態を招いています。

なぜなら
「前回、香典を受け取ってもらえなかったから、
今回うちの葬儀で香典を受け取るわけにはいかない」
と連鎖して広がってしまうからです。

このような香典を受け取らない葬儀の広がりの行き着く先とは、
間違いなく葬儀の小型化です。

当家のみが負担できる費用はおのずと限界があり、
先行き不透明な昨今の経済情勢がより顕著に変化を加速させていきます。

このままでは、
葬儀は遺族親族だけのもの、
身内だけでひっそりと内緒で行って、
友人知人には後で書面で通知するだけでという意識が一層強まって、
あっという間に市民権を得ることになってしまうのは明らかです。

私たちは、この状況を座視し何もしなくて良いのでしょうか?
経済的事情と合理的な考え方が組み合わさって、
意味のよくわからない戒名やお経やその他もろもろ全部省いて火葬場のみで行う
「直葬」すら大きく広がりつつある昨今です。

そもそも葬儀とは、
ご遺族がなかなか受け止めきれない大切な人が亡くなってしまったという現実を、

多くの弔問者が訪れて、悲しみ、思い出を語り、お礼を言い、
亡き人に最後のお別れのご焼香をされる様子を、ずっとその光景を見ながら、
共に悲しみながら応対されているうちに、

少しずつ本当に亡くなってしまったという実感がうまれ、
心が現実を受け止めていくものです。

そして、
あとからふと「本当にあの人は亡くなってしまったのかしら?」
と不安になっても、

「あれだけ皆さんが来られて最後のお別れをされたのだから、やっぱり現実だったんだ」
と考えられる手助けとなることが重要な意味の一つです。

一見合理的に見える「省くこと」は、
心の立ち直りに見えない大きな影を落とします。

だからこそ私たち葬儀にかかわる宗教者そして関係者は、
今一度それぞれの故人の人生に相応しい葬儀のあり方を作り出し、
その下支えをする「香典システムの再活用」をするべきだと思うのですがいかがでしょうか?

今広がりつつある状況からここで踏みとどまらなければならないと思います。

お金に余裕のある家が、
参列者を気遣って香典受け取りをお断りする葬儀を行うことは、

その葬儀だけを見れば確かに参列者は香典を出さずに済むかもしれませんが、
次にその参列者の家の葬儀についても波及してしまうことへの想像力が足りない、
ある意味身勝手な善意です。

お金に余裕がある家の葬儀については、
香典を受け取ってそれを「東日本津波原発大震災」の義援金や福祉施設への寄付にしてもらえばと思います。

また、
葬儀は遺族や身内だけのものではありません。

友人知人にとっても、
その故人との関わりに応じた大切なお別れの場であることに配慮し確保することが大切です。

そして
香典のお返しが大変な点については、
より工夫をこらした対応をしたいものです。

ちなみに永正寺では
通夜、葬儀当日に、金額に応じた3分の1相当の金券を「蓮の実」と命名してお返しする形をとっているので、

あとから膨大な事務に煩わされることはありません。
遺族にとっては煩わしさを大幅に軽減して香典システムのメリットを提供でき、

参列者については香典を納めることで参列しやすくなりますし、
金券だと使い勝手が良いので喜ばれるのです。

繰り返しになりますが、
香典のあり方についての問題は一軒一軒だけの問題では終わりません。
社会全体の問題です。

是非、関係の方皆さんが、鋭意工夫いただきますことを願っています。 』

※当然のことながら、このブログはあくまで私の個人的な解釈です。

江南 永正寺(葬儀改革、癒し空間、コンサート)

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